燃え尽き症候群に陥る人に多く共通する「がんばりかた」って?
「もしかしたら燃え尽き症候群かも?」と感じている人の相談に乗ってきた中で、多くの人に共通するある「がんばりかた」に気付きました。
今回は、そんな「がんばりかた」も含めて、燃え尽き症候群にかかる人の共通点について、過去に3度の燃え尽きを経験した「燃え尽きマン」である私の見解も交えてお話します。
落ち込みやすいあなたへ 「うつ」も「燃え尽き症候群」も自分で断ち切れる
~燃え尽き症候群にかかりやすい人の特徴~
周りから見たら、真面目で優秀かつ優しい人
燃え尽き症候群にかかる人の多くは、とても真面目で、物事に対しても非常に意欲的であり努力を惜しまないという共通点があります。
また、それでいて人に対しても普段から優しく接するように心掛けていたり、人に対する思いやりの心に富んでいることも見受けられます。
そのため、社会的に見たら「優秀な人」という評価をされていることが多いのも事実です。
しかし、こういった「真面目・意欲的・思いやり」といった長所がずば抜けているあまりに、様々な偏った考え方のクセが生まれるなどして、自分自身に重荷を載せていく傾向もあります。具体的なことを次の項目から紹介します。
①完璧主義、厳しい評価基準を持つ
燃え尽き症候群にかかる人で、完璧主義的な考え方が強い人はとても多いです。
また、物事に対する厳しい評価基準を持ち、その考えをもとに自分を日々鼓舞することで、すさまじい向上心を生み出しています。
私の場合、音楽活動をしている時期には「曲も作れないバンドマンはバンドマンの価値ゼロ」という極端な考えを持っていました。
だからこそ、作曲や編曲、その他エンジニアリングに関してまで幅広くスキル向上に精を出していました。(決してその考え方を基に相手にきつく当たることはせず、自分でやった方が早いという方向にシフトしてしまいます)
しかし、そのような冷たく厳しすぎる考え方を持ち続けていたせいか、ある日スランプに陥り自分が曲を作れなくなってしまった時、その考え方が自分に降り注いできました。
その思いが強ければ強い分、自分の心に深く突き刺さる刃となります。
心は出血多量で、限界を迎えることになるのです。
②かなりの努力家
完璧主義的な考え方と相乗して、かなりの努力家であることも共通していることが多い点です。
燃え尽き症候群に陥りやすい人は、やると決めたことに対する情熱や使命感などが強い傾向にあり、常に全力投球で挑んでしまうことが多いです。
また、自分の好きなことに打ち込んでいたり、情熱があまりに強いと、努力を努力と感じないことがあります。周りから見ればかなり努力している人に見えても、自分自身は努力しているように感じないばかりか、まだ努力が足りないとさえ感じてしまうことも多いです。そのため常に全力疾走のような意識で頑張ってしまいます。
一人で没頭できる趣味の世界でそのような頑張りをするのであればまだいいのですが、それが仕事となると人間関係など様々なストレスが周りから舞い込んできます。
力の抜きどころを知らぬままそのような負担がかかると、遅かれ早かれオーバーヒートしてしまいます。
③助けを求めない人、助けを求められない環境にいる人
周りの助けを求めることが苦手で、いつでもどんなことでも自分ひとりで解決しようと努力してしまう人も、燃え尽き症候群にかかりやすいと言えます。
私の場合、
- 自分の感情や考えを言葉に出すことが苦手(文章で表すのは得意)
- 自分の相談のために相手の時間を奪ってしまうことへの抵抗(ググれカスという言葉が常に頭の中にある)
- 相談しても、うまく自分の状況や思いを理解してもらえる自信がないこと
- そもそも、まともに相談に乗ってくれないのではという不安(実際にそういう経験を家庭などで味わったことから来ている可能性がある)
こういった背景があったため、人に助けを求めるという行為のハードルがとても高いのです。
その上、先程の項目にある「完璧主義的な考え方・厳しい評価基準」のように、「自分で解決できない人間は無能だ」という考えを自分に課してしまうため、自分ひとりでなんとかしようともがくことになります。
しかし、社会性のある動物である人間として生まれたからには、世の中をたった一人で生きていくことは実質不可能です。
一人ではどうしても解決できない問題に対して一人で立ち向かっていくことは、非常に大きな負担となりますし、解決される前にエネルギーを使い果たしてしまいます。
また、職場の人事配置などの問題により、周りに助けを求めたり相談できるような人が物理的に存在しないため、一人で抱え込む状況になってしまっている人も、同じく燃え尽き症候群に多い共通点です。
~燃え尽き症候群にかかる人の「がんばりかた」~
燃え尽き症候群にかかった人やそのの疑いがある人との相談を通じて、ある共通の「がんばりかた」があることに気付きました。
あくまで個人的な見解であり、またすべての燃え尽き症候群に共通するものではありませんが、自分を含め多くの燃え尽き経験者にあてはまる型であることに違いありませんので、少しでも思い当たる節がある人が、いったん立ち止まって自分を見つめなおすキッカケとなればという思いで発信させていただきます。
「幸福度を高めるには人や社会のために生きろ」も結局は「自分のため」が大事
燃え尽きやすい人に共通する「がんばりかた」の前に、その前提として世間で大事とされている考え方について誤解を恐れずに反論させていただきます。
多くのビジネス書や自己啓発書では、「自分のためではなく、人のため社会のためを軸にして生きることで、人生の幸福度が上がる」と書いてあることがあります。
この考え方を否定するつもりはありませんが、これを普通の人が言葉通りに受け取って実行しても、私は決して幸せにはなれないと考えます。
本来、この考え方のカラクリはビジネス的な観点から言えば、
- 人のため社会のためを軸として考えることで、需要のあるビジネスの発想が得られる
- そのビジネスを実行に移すことで大きな成功が得られる
- その成功体験により自分の幸福感が上がる
といった流れとなりますし、自己啓発的な観点から言えば、
- 人のため社会のためとなる行いを心掛ける
- 人から感謝されることが増える
- 自分の存在価値を確認できて幸福度が上がる
さらにマインドフルネスの分野で見れば、他人の幸せを祈ることで心が浄化されストレス耐性が向上したり科学的な効果が確認されている…
といったように結局は「成功」や「感謝」、「科学的な効果」といった自分に対する良好な結果があってこそのことです。
それこそ、「会社のため」も行ってしまえば会社は人で出来てるため「人のため」です。会社のために身を削りすぎて逆に不幸になってしまう人もたくさんいますよね。人のために生きれば幸せになれるという考え方は、この事実がある限り矛盾しています。
「人のため」×「報われなかった感」×時間 = 燃え尽き症候群の影響
燃え尽きてしまう人の多くは、真面目で努力家で思いやりのある人が多いということは先程ご説明しましたが、それゆえに自分の感情や考えよりも他人(身内や親しい人も含む)のためを優先した状態で、かなりの努力が出来てしまいます。
これが、燃え尽き症候群に陥る人に多く共通する「がんばりかた」です。
自分のことをないがしろにしてまで自ら努力することなんて、そう簡単にできるものではありません。よほどブラック企業に勤めており、冷静な判断ができないほど追い込まれて働き続けてしまうといった環境でもない限り、身を削る努力は出来ないでしょう。
もちろん、当の本人は自分よりも他人を優先してしまっていることにすら気づけないことがほとんどです。
その努力を続けていくことで、成功や感謝といった恩恵が得られれば、あるいは得られる見込みがあると確信できていればいいのですが…
そのような状況下で、ショッキングな出来事であったり、今まで見えていなかった本質に気付いてしまったり、何かしらのキッカケから今までの努力に対して「報われなかった感」や「無駄になった感」を強く抱いてしまうことで、燃え尽きの危険が現れます。
また、その状態のまま無理して努力を続けることは、脳にとってもかなりの負担となります。そして、その他の精神疾患を併発してしまうリスクが更に高まります。
~燃え尽きないために「がんばりかた」を変えていこう~
人に迷惑はかけても良い
周りに助けを求めることが苦手な人の多くは、「人に迷惑をかけないように生きていこう」と意識しているのではないでしょうか?
周りに助けを求めることは、相手の時間を奪うことにつながり迷惑をかけてしまうから、自分だけでなんとかしようと無理をしてしまう。
また、幼いころから「他人に迷惑をかけてはいけません」と教わってきたために、それを真面目に守り続けようと今でも努力しているのではないでしょうか?
しかし、人に迷惑をかけずに生きていくことなど、不可能なのです。そもそも人はこの世に生まれる時、母親に痛みを与えたり病院関係者の力を借りたり、すでに迷惑をかけているのです。
迷惑をかけることが悪とするのならば、世の中に生きる人はみな悪人ということになってしまいます。であれば、いまさら他人に迷惑をかけないように努力する必要もないのです。
自分の弱さに諦める
また、相手の前では常にしっかりした人でなければいけないと思っている人も、周りに助けを求めることに苦手意識を持っています。
弱音を吐いて相手に心配かけたくないという優しい気持ちや、常に強くあるべきだと自分を律する強い気持ち、自分の弱みを認めて相手に見せることに対して不安に思う気持ち、様々な思いを持っていることでしょう。
人に助けを求めるには、自分自身の弱さを自分で認める必要があります。ある種、自分に対する諦めを持つことになりますが、諦めることは決して悪いことではありません。
「明ら目」という表現がありますが、諦めるというのは自分自身の本来の姿をクリアーに認識することでもあります。
「諦めたらそこで試合終了」ではなく「明ら目たらそこで初めて本当の人生が始まる」のです。自分の弱さを認めて自己理解を深めることで自分の本当の価値観がわかり、自分が真に幸せに生きていくために必要なことが見えてきます。
また、人は弱みを隠す人よりも、自分に弱みを打ち明けてくれる人のほうにより好感を抱きます。弱みを打ち明け助けを求められることで、自分の価値を再認識できるからです。
あなたの「心配かけたくない」という思いやりを、「自分の弱みを打ち明けてあげる」やさしさに変えるだけで、相手の幸せを増やす手助けになります。
「自分のため」をまず優先
「人や社会のためにビジネスをやっている」と公言する経営者も、その行為を通じてお金を集めている以上、根本的にはやはり「自分のため」があるのです。
「自分のため」を全く持たずに本当の意味で「世のため人のため」でやるのであれば、ビジネスではなく慈善活動として利益を生まない活動をするはずです。当然、それでは資金が足りず自分も生活できません。
ビジネスでやる前提でも「自分のため」を全く考えていないのであれば、自分ばかり裕福な生活をするのではなく従業員にも平等に利益を分担するはずです。
しかし、世の中の多くの経営者は、稼ぎが増えるほどにより良い家、より良い車、より良い生活を求めています。
やはり、結局は「自分のため」を持っているのです。自分だけでなく世のため人のため”にも”生きるという意識を持つことが、ビジネスの成功においても幸福度をより上げるためにも必要であることを知っているから、自分の幸福度をあげるためにそのような意識を掲げるのです。
努力で突き進んだ結果として自分が得られる何かがあるという前提で、人のためになる行いをすることが、本来の正しい幸福度の上げ方。
あるいは、努力の結果得られる何かは、その過程において我慢せざるを得ない苦痛と釣り合う報酬なのかどうか。
命を賭してまで努力することに見合う報酬など、どこにもない。
まずは、土台である「自分のため」をしっかり固めましょう。
まとめ
いかがだったでしょうか?
燃え尽き症候群は、厳しい職場環境だけでなく自分自身の凝り固まった考え方が症状を悪化させる原因である場合もあるため、思い当たる節があれば取り返しのつかない状況になる前に改めて自分を見つめなおしてみましょう。
以上、燃え尽き症候群に陥る人に多く共通する「がんばりかた」のご紹介でした。